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朝早く家を出て JR大牟田駅に7:30頃到着 駅を背に歩くこと約15分で 宮浦石炭記念公園 |
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宮浦坑は明治20(1887)年開坑で三池炭鉱の主力を担った その後昭和43(1968)年に閉坑した 園内には地底への往復に使われていた人車と プラットホーム、採炭機械も展示されている |
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国の登録有形文化財の煙突(高さ30m、1888年完成) 炭鉱では立坑・斜坑の巻上機動力として ボイラーで石炭を燃やして蒸気を起こし その排煙用の巨大な煙突が必要だった かつての石炭積み出しヤード |
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大牟田から熊本へ | |
途中の車窓からは遠くに雲仙普賢岳が見えた | |
9時過ぎに熊本駅に到着 1~6番線のうち今朝1~3番線のホームが 新たに高架として完成オープンしたばかりで 作業員に交じって報道系の者が沢山来ていた |
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不便だった在来線と新幹線の乗り継ぎも便利になった | |
図の一番上のホーム(1~3)が新設された部分 ホーム下の商業施設も増床して 肥後よかもん市場 となり テナント店舗も増えて買い物客が大挙押し寄せていた 以前とは様変わりの光景だ |
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開業式典をやっていた | 隣接して建設される駅ビルの完成予想図 |
地上ホームの地下を潜った連絡通路の 「おてもやん通り」↑は閉鎖されていた ←新たに作られた在来線の改札口 |
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使われなくなった旧地上ホームからは線路が取り除かれ ←広大な開発用地に生まれ変わる↑ 熊本駅の新たな正面となるファサード |
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一方で旧駅舎は解体されて駅前広場の一部となる | 旧駅舎内のテナントはすべて移転済だった |
昼頃に熊本から八代へ移動 | |
2004~2011年まで在来線特急と新幹線が 対面で乗り換えていた新八代駅 新幹線と在来線とは斜めに交差している |
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在来線の駅 | 新幹線の駅 |
駅前にはまだ殆ど何もない | 駅前モニュメント「きらり」 |
手前がJRの八代駅 向こうが肥薩オレンジ鉄道の八代駅 |
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駅前で自転車を借りて八代を探検 | |
←本町商店街 ↑市役所(左)と総合病院(右) |
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八代城 (続百名城に指定されたばかり) 地震による麦島城の崩壊により1622年に加藤正方が築城 一国一城令にもかかわらず幕府から特別許可により残された 加藤家の改易後には細川三斎が入城 その後は明治維新まで松井家代々の居城となる |
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大天守跡 | 本丸跡には 八代宮 がおかれている |
松浜軒 (国指定名勝) 八代城主3代松井直之が1688年に 生母崇芳院尼のために建てた茶屋 通称「浜のお茶屋」 |
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創建当初は近くに松林があり 八代海を見渡す浜辺に位置していたが 現在は干拓で海岸から離れている 名勝としての指定名称は 「旧熊本藩八代城主浜御茶屋(松浜軒)庭園」 |
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公共建築百選に指定されている「八代市立博物館(未来の森ミュージアム)」 | |
球磨川沿いに自転車を飛ばして約30分 水島 (国指定名勝)へ 八代には国指定の名勝が2か所もある |
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遠浅の干潟の中に浮かぶ島が見えてきたので あれが水島かと思ったら違ってた |
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こちらが本物の水島 日本書紀に 「天皇がこの島で食事をなさろうとした際 水が無かったので小左という人物が天地の 神々に祈ったところ冷水が湧き出したので それを天皇に差し上げることができた そのためこの島を水島と呼ぶ」 という記述がある |
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島の手前には龍神社が鎮座する | |
万葉集では長田王が 「聞きし如まこと貴く奇しくも神さび居るかこれの水島」 (人の言うように貴く不思議にも神々しく見えることよこの島は) と詠まれている |
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なので近くに 万葉の里公園 が整備されている | |
江戸時代には堤防によって干拓地に取り込まれる予定だったが学者の意見で堤防を曲げて保存したという | |
堤防による干潟の干拓 | |
干潟には無数の穴が開いているので 何かと思ったら蟹だった 八代の水島の磯の干潟にわれ疲れ果てて蟹とたはむる 岩の隙間には牡蠣もたくさん生息していた |
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再び急いで八代駅に戻りバスで 日奈久温泉 へ | |
数年前にオープンした公共浴場の ばんぺい湯 で食事と入浴 |
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温泉施設の中に入ってる「桑庵」という食事処でちゃんぽん定食 忙しくて朝から何も食ってなかったので生き返った |
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ノンビリ温泉に浸かってたら8時近かった 便利なバスはもう無いので10分ほど歩いて駅へ |
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帰りは肥薩オレンジで新八代まで戻る |
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