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8:20 ホテルから始発の送迎バスで駅へ向かう 受付時間に間に合うか心配だったが 道がそれほど混んでいなくて助かった 受付は大波止にあるので 途中の交差点で降ろしてもらう |
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ここが軍艦島クルーズの事務所兼受付場所 (写真は下船後に撮影) 夥しい人で溢れかえっていたが 事前に誓約書を印刷して署名していたので 優先的にあっという間に手続き完了(VIP並の扱い) 首から下げる乗車証(3600円)と 軍艦島への上陸券(300円)を貰う 8:50で受付終了とのことだったが 余裕で間に合った 受付で今日は上陸できるか訊いたら 「上陸できそうな予感がします」と応えてもらった |
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乗り場は道を挟んだ反対側 既に大勢の人が並んでいたのとオレンジ色の船体ですぐ判る |
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8:50 頃に乗船開始 今日は200人近い満席状態だそうで 本当に全員乗れるのか係の人に訊いたら ニヤリとして「上手く詰めれば大丈夫」とのこと 船名は「ブラック・ダイヤモンド」だった |
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直前まで「ブラック・オレンジ」だと勝手に思っていたのである | 屋根なしのデッキと室内とに分かれて座る |
デッキの方が人気が高く幸いギリギリ階段傍の最後の席を確保 | 9:10 出港 |
最後の席だったが少し高い階段の上に立つと 360度の眺望が可能だった 残り物には・・・だね |
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最初は港内をゆっくり遊弋しながら案内人の解説が入る | 三菱重工長崎造船所の巨大クレーン(世界遺産) |
ここだけで世界遺産が4つもあるという | 護衛艦も多数がここで修理を受ける |
いま流行りのイージス艦も2隻が停泊(#173、#178) | |
奥に見えるのは戦艦武蔵を建造したドック(昔読んだ吉村昭「戦艦武蔵」を想い出す) | |
湾口の女神大橋が近づくにつれ徐々にスピードが上がっていく | |
案内人は以前高島で働いていた女性の方だった | |
途切れなく解説が入るので相当な勉強家であろう | 岬にある神ノ島教会の前に立つ白いマリア像 |
長さ1000mもある三菱最大の造船所 | クレーン上の三菱マークだけでテニスコートの大きさだという |
船は高速(約20ノット)で長崎湾を出ると すぐに伊王島が見えてきた |
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伊王島はかつて石炭を掘っていたが今は橋でつながったことで観光を前面に出している | |
伊王島を過ぎると前方に(右から) 高島、中ノ島、端島(軍艦島)が見えてくる |
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30分ほどで高島に到着 | |
高島に上陸 高島炭鉱は江戸時代から採炭が始まり 幕末にグラバー商会が経営に参加 明治に入って三菱に買収された |
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島内には数々の観光施設がある | 三菱の創始者 岩崎彌太郎の像(安芸市でも観た) |
石炭資料館で軍艦島の模型を見ながら案内人の解説 | |
船は写真右側の楕円形の桟橋に着く 手前が見学エリア(作業区域) |
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反対側のエリア | 学校や商店や団地がある(居住区域) |
屋外に展示されていた運搬車や人車 皆珍しそうに観ていたが個人的には先週 大牟田の宮浦石炭公園を見たばかりなので新鮮さに欠けた |
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内部の展示 | |
戻り際に高島港ターミナルでお土産を買えた | |
いよいよ軍艦島へ | |
戦艦土佐の左舷後方から接近 | |
接岸までの時間調整のため10分くらい反時計回りでぐるっと島の周囲を巡行する | |
通常の上陸では見られない島の反対側の様子を見学 | |
防潮の役割を持たせた「ハの字」「ヘの字」集合住宅が見える 台風の時の高波は集合住宅の高さを越えたという |
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徐々に戦艦土佐に見えるスポットへ近づく このツアーでは船の左舷側のほうがよく見えるのだが 右舷の人も写真が撮れる様にこのスポットで 船は360度ゆっくりと旋回する 午前のツアーだとここは逆光になるが 寧ろシルエットのみが見えて好いと前向きに考えよう |
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こうして見ると本当に戦艦土佐に見えてくる と言っても実際には本物を見たことがないのだが 長門から艦橋を取って後部を伸ばし主砲塔を 一基追加しただけなので何となくは想像できる ただし軍艦島の方がサイズは一回りも大きい |
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戦艦「土佐」は「加賀」と同型艦 | ただし「かが」は最近「いずも」の同型艦として竣工している |
船は徐々に日の当たる側へと周っていく | |
こちら側からだと(頭の中で艦橋を付け加えれば) 改造後の「伊勢」や「日向」に見えるかも知れない 桟橋には先に別のツアーの船が接岸していた |
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(参考) 戦艦伊勢 | ![]() |
前の船が出るのを待って島に近づく | 各ツアーごとに接岸時間が決めれている |
緊張が高まる接岸の瞬間 皆一斉に撮りだす |
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こんな感じで船を固定 | |
確かに桟橋の周囲には防波堤が全くないので 海が荒れてると上陸は難しそうだ この日はクルー曰く 「波が無いで(凪いで?)湖みたいです」 とのこと これで上陸しなかったら 戦艦ポチョムキンならぬセキタン号の反乱だぜ |
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粛々と上陸開始 | |
最初の印象はギリシャかローマの遺跡 | 時間が経つと廃墟は何処もみな似てくるのか? |
移動中は写真撮るなと言われたけど | 手が勝手に獲ってしまうのでお姐さんに優しく叱られる |
岩礁を貫通せて居住区へ繋げたトンネルの入り口 |
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第1の説明スポット 写真を撮りながら耳だけで聞いた話で覚えてるのは ・島は元々山の様な岩礁だけで周囲をボタで埋め立てた ・岩礁の上の共同住宅には三菱の幹部が入居した ・そこにエレベーターや水洗便所(日本初)があった ・巻き上げ櫓の鉄骨が残ってる場所が坑道の入り口 ・巻き上げ機を蒸気で動かすためボイラーの煙突があった ・廃坑は海水で塞がないとガスが充満して爆発する 等々 |
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第2スポットを飛ばして第3の見学場所へ | |
正面に見えるのが大正5(1915)年に建てられた 鉱員社宅で日本最古のRC造高層アパート 百年以上も前にあんなモダンなアパートが建てられたことに驚く 当時の石炭産業の羽振りの良さを物語る証しで 三菱は何でも最新のものを採用したそうである 危険と隣り合わせの鉱員の給料も非常に高く1960年頃で 当時は珍しかったTVや冷蔵庫がどの家にもあったと言う |
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鉱員は作業を終えると地下千mから真っ黒で上がってきて あの階段を下って手前の建物で風呂に入る そして海水の風呂で石炭を落として作業着を洗い 最後に真水の風呂で身体を綺麗にして帰宅した 昔ここで男達が風呂に入っていたと想像すると 何故かカラカラ浴場のことを思い出してしまった |
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RCや 兵どもが 夢の跡 いまは廃墟となった場所をタイムスリップして かつての屈強な男たちのドラマを想像してみる 「男たちの大和」ならぬ「男たちの端島」 廃墟観光は想像力を働かさないと全く面白くない |
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どれもこれもが百年の歴史を刻んでいる | |
往路途中ですっ飛ばした第2見学地の赤煉瓦前は ガイドお薦めの撮影スポット |
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結局時間いっぱい一番最後まで滞在してしまった | |
岩礁をくり貫いて港と居住区域を結んだ地下トンネル | |
時間内に戻ったら既に殆ど皆乗船していた | |
名残惜しく軍艦島を後に | |
もう次のツアー船が接岸しようとしている | |
こちら側からもやはり軍艦っぽくは見えるが 戦艦よりも重巡に近い感じがする |
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帰路は長崎まで直行 穏やかなクルーズについウトウトしてしまう 春の旅 終日のたり のたりかな |
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最後の解説ではもう一つの世界遺産を紹介していた 何だか忘れたけど |
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ほぼ12:00ちょうどに長崎港へ到着 お疲れさんでした! |
駅前でちゃんぽんの昼食 午後は市電一日券を買って市内を観光 |
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まずは北上して大橋駅から歩いて 丘の上にある「長崎県護国神社」へ |
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市電で正反対の終点である正覚寺下まで乗って 「崇福寺」へ 崇福寺 (黄檗宗) 創建1629年 |
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第一峰門(国宝) | |
本堂の大雄宝殿(国宝) | 媽祖堂門(重文) |
この寺は長崎在留の福州人により 明代の建築様式をそのまま用いて建造された このため「福州寺」とも言われる |
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何故かドイツ人のツアー客と暫くずっと一緒 何言ってるかは判らなかったが みんな真剣に写真を撮りまくっていた |
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ここからずらりと寺が並ぶ 寺町をしばし歩く 隣は「大光寺」 (浄土真宗) 創建1614年 |
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次は「大音寺」 (浄土宗) 創建1617年 |
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続いて「晧台寺」 (曹洞宗) 創建1608年 |
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高台にある寺町から下る磨屋通りの先には 中島川を跨ぐ「眼鏡橋」が架かる |
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「長照寺」 (日蓮宗) 創建1622年 |
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「延命寺」 (真言宗) 創建1616年 |
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ようやく「興福寺」 (黄檗宗) 創建1620年 江西省出身者により造られた黄檗宗発祥の地 |
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本堂の大雄宝殿(重文) 本堂の正面にはベンチが置かれ ここに座って長閑な風景を眺めていると癒される 奥にあるのが媽祖堂 |
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あれ?崇福寺にも同じ名前の建物があったので不思議 そういえばあっちも同じ黄檗宗の寺だった 寺の住職(らしき)がいたので何が違うか訊いてみたら 当時の禅寺は明の同郷者のサロンのようで 今でいう県人会みたいだったと教えて貰った (あっちは福州人でこっちは江西人) 寺には疎かったが妙に納得 そういえばどの寺も創建が17世紀なのは鎖国で 日本の玄関口が博多から長崎に移ってから出来たからだろう ということは博多の古い寺との関係は?・・・という疑問も湧く |
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まだまだ続く寺巡り 「浄安寺」 (浄土宗) 創建1624年 |
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「三宝寺」 (浄土宗) 創建1623年 |
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「深崇寺」 (浄土真宗) 創建1615年 |
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亀山社中へ上がる龍馬通り | |
「光源寺」 (浄土真宗) 創建1637年 |
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----- 寺巡り終わり ----- |
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今日最後の目的地である諏訪神社へ (別表・国幣中社) |
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石段の参道には鳥居がたくさん建つ | |
長崎らしくどんどんと階段で斜面を上がっていく | |
拝殿と境内の案内図 | |
10月の例祭は「長崎くんち」として有名 | |
苦労して登った甲斐あって上からの景色は抜群に良い | |
下に降りると(場違いに)賑やかな商店街「新大工町」があった | |
長崎街道の起点となる由緒ある地区なんだろう | |
驚いたのはデパート玉屋があったこと (後で調べたら4年前に閉店していた) (20数階建てのタワーマンションに建替えられる) 佐世保と佐賀は知っていたが 長崎にも支店があったとは知らなかった 博多や小倉とか往時は何店舗あったんだろうか? |
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軍艦島のミニチュアの置物がどうしても欲しかったので 土産がいっぱい売ってそうなエリアに行ってみる 見事に手ごろなのを見つけて大満足! (帰ってドブロブニクと並べて置いた) もう閉まっていたが行き掛けの駄賃に「大浦天主堂」(国宝) |
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さらに近くで賑やかな演奏が聞こえてきたので行ってみると クルーズ船が出港するセレモニーだった |
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そしてよく見たらこんな所にも軍艦島クルーズの船着き場があったのでびっくりした(駅からかなり遠い) | |
博多と同じで朝着いて夕方出港のパターン | ボンボヤージ! |
夕食にトルコライスが食いたくなった 何度か行った発祥の店に入ってみるが 味はそこそこで値段は以前より高くなっていたので 選択を間違えたかも知れない |
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